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「ディア・ピョンヤン」 [WOWOW]



2006年公開/日本・韓国/作品時間107分
人生のすべてを《祖国・北朝鮮》に捧げる両親のもとで育ったヤン・ヨンヒ監督が、10年にわたって両親と、平壌で暮らす兄たちの姿を記録し続けた家族ドキュメンタリー。

ヤン・ヨンヒ監督のドキュメンタリーは、
いつ観てもやるせなくて切ない気持ちにさせられる。
この作品でも心が引き裂かれるような、
何ともいえないつらさに襲われた。

在日の中でも朝鮮籍を選んだ両親。
そして帰国事業で3人の息子を北朝鮮に送り出す。
そのこと自体は本国から評価され、
総連の幹部として父親に大きな誇りをもたらす。
そしてそれを機に母も総連の仕事に精を出す。
一方のヤン・ヨンヒ監督は、
特に何の疑問も持たずに朝鮮学校に行き、
優秀だったので北朝鮮を訪問することも出来、
兄たちと再会することもできた。
しかしやがて自分の道を歩み始めると同時に、
朝鮮籍であることが大きな足かせになる。
正式に国交のない国には行かれない。
何より韓国に行くことができないのだ。
だから自分は韓国籍にしたいと言い出したときに、
最初父親は絶対に許さないと言った。
彼女が映像の仕事をする上に置いて、
渡航できる国が限られるのは大きな足かせになる。
それでも最初に言い出したときは家族は一緒であるべきとした。

年月が経って、
ご機嫌に酔っ払った父親を撮影しながら、
ヤン・ヨンヒ監督が国籍変更の問題を問いかけると、
「変えても良いよ」という。
強硬に反対した以前とうって変わって、
柔和な表情で「すれば良い」という。
時代も流れて娘の仕事にもそれが大きく影響すること、
だから変えてもかまわないというのだ。
思えばもっと早く南北統一、
国交が多くの国と結ばれると思っていたのだろう。
総連幹部として力を尽くしてきたからこそ、
3人の息子を全員帰国事業で北朝鮮に送ったからこそ、
金日成、金正日親子を崇拝していたからこそ、
今の状況がよくわかっているのだ。
ましてや「地上の楽園」に送ったはずの息子たちに、
日本から物品、カネの仕送りが欠かせない状況。
自分達から会いに行くことはできるが、
息子たちが日本に来ることはできない。

政治思想も価値観も、
親子だからと言って一致させる必要はない。
しかしイデオロギーで対立するのは哀しい。
だけど朝鮮籍と韓国籍の選択は、
イデオロギー以上に生活上の利便性が大きい。
実際問題「GO!」でも「ハワイに行きたい」と言うことで、
朝鮮籍から韓国籍に変更するシーンがある。
最初にこれを読んだときはよくわかっていなかったが、
やっとその意味がわかるようになり、
「その程度のものだ」と父親を切り捨てたのも理解できた。

戦後今年で79年。
今もまだ様々な問題燻っている。
年数が経てば経つほど、
歴史として「なかったこと」にしようとする動きが強くなり、
戦前のようなヘイト、差別が強くなる。
「在日特権」という存在しないものばかりがクローズアップされる。
私が知りうる限り「在日特権」が存在するとすれば、
他の外国人と違い、
雇用保険を取得するときに在日は在留カードの内容を登録しない。
ただそれだけのことだ。

この後の「スープとイデオロギー」にいたって、
なぜ両親が朝鮮籍にこだわったのかがわかる。
血も凍るようなその体験は、
おそらく日本では一般的に知られていないだろう。

そんな家族の肖像は、
哀しさと楽しさと悦びと怒りで、
それぞれが引き裂かれている。

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「ボーはおそれている」 [映画]



日常のささいなことでも不安になる怖がりの男ボーはある日、さっきまで電話で話してた母が突然、怪死したことを知る。母のもとへ駆けつけようとアパートの玄関を出ると、そこはもう“いつもの日常”ではなかった。これは現実か? それとも妄想、悪夢なのか? 次々に奇妙で予想外の出来事が起こる里帰りの道のりは、いつしかボーと世界を徹底的にのみこむ壮大な物語へと変貌していく。

正直言ってアリ・アスター監督は苦手。
熱狂的なファンが多いけれど、
私はどちらかと言えば苦手。
「ヘレディタリー/継承」に関してはホラーとして、
即物的な恐怖と精神的な恐怖が途中で反転して、
何とも気持ちの悪いホラーという印象だった。
「ミッドサマー」は何度観ても途中で寝てしまう。
覚悟を決めて何とか頑張って観たが、
その宗教的な味わいと要素が受け入れがたかった。

ではなぜこの3時間の長尺を観る気になったか。
それはやはり公開前から評判が高かったのと、
ホアキン・フェニックスが主演だからだ。
それともうひとつ。
「オオカミの家」のホアキン・コシーニャ、クリストバル・レオン、
彼らが劇中のアニメーションを担当したと聴いたから。

冒頭からずっと、
ボーの頭の中の悪夢を見せられている感じ。
アニメーションのシーンは、
造形に特徴があるのですぐにわかる。
そして「オオカミの家」では味わえなかった、
華やかで美しいアニメーションも観られる。
ただそれさえもボーのおそれている世界なのだが。
余りに美しくて素晴らしくて、
3時間のうちこれだけでも観る価値は充分にある。
中身に関しては言わない方がいいと思うし、
この作品がアリ・アスター監督にしては、
ユーモラスであり声に出して笑えるところもあり、
滑稽なボーの姿にスラップスティックな雰囲気さえ感じる。



しかし。


最後にガツンとくる。
それは予想もしなかった形で。






一応警告だけはしておく。
「私がこんなに愛しているのに、 
なんで貴方はわかってくれないの?」
そういうタイプの毒親がいる人。
その人はできれば観ない方が良い。
そこから自分とボーが一体化して、
途轍もない苦痛になることもあると思う。
或いは客観的にそれを超越した人なら、
逆に家族を笑い飛ばせるかもしれない。
まぁ実際笑うしかないグロテスクな場面もあるし。

いずれにしても私はお腹いっぱいだ。
3時間という長丁場もあるけれど、
終わる頃にはぐったりしていた。

アリ・アスター監督の映画は、
腹の底から生えてきた手が、
心臓を揉みしだいて握りつぶすような感覚がある。
それがたまらなく好きな人もいるだろうが、
今回は題材も相まって私はギブアップ。
ただしホアキン・フェニックスの演技は素晴らしい。
それはまた観たいと思えるが、
トラウマが自分を潰しかねないので止めておく。

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