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「対峙」 [WOWOW]



STORY
アメリカの高校で、生徒による銃乱射事件が勃発。多くの同級生が殺され、犯人の少年も校内で自ら命を絶った。それから6年、いまだ息子の死を受け入れられないペリー夫妻は、事件の背景にどういう真実があったのか、何か予兆があったのではないかという思いを募らせていた。夫妻は、セラピストの勧めで、加害者の両親と会って話をする機会を得る。場所は教会の奥の小さな個室、立会人は無し。「お元気ですか?」と、古い知り合い同士のような挨拶をぎこちなく交わす4人。そして遂に、ペリー夫人の「息子さんについて何もかも話してください」という言葉を合図に、誰も結末が予測できない対話が幕を開ける──。

明日のことは誰にもわからない。
銃乱射はともかくとして、
もしかしたら明日自動車事故で加害者になるかもしれない。
被害者として死ぬかもしれない。 
人は常に様々な立場になることがあり、
その立場が逆転することもある。

哀しいのは、
このどちらの夫婦も息子の死を乗り越えられず、
夫婦として家族として機能不全になっている。
加害者の両親はそのことで充分に苦しんだ。
現在進行形で世間から責められて、
息子についての理解も被害者への陳謝も、
何処かで言い訳めいている。
被害者の両親は相手の苦しみも頭では理解できる。
だけど理不尽に殺された我が子と、
手にかけた相手とその両親へのぶつけようのない怒り、
その不完全燃焼な怒りの炎が燻っている。
「それ」は突然にやってきたのか?
それとも兆候があったのか?
それならなぜあの時であの場所で起きたのか?

どちらの両親も答えは持っていない。
そんなことは6年の間に考え尽くしている。
どちらもそれに対して納得などできていない。
残された家族の現在についても、
お互いに表面を滑るような言葉の応酬。
そしてお互いの納得がいかない部分が噴出して、
彼らは本音をさらけ出していく・・・。

100%の会話劇なので、
この会話部分を語ってしまってはネタバレ。
それはぜひ自分の耳と目で確認してもらうとして。

こうした機能不全家族は多いと思う。
身の上相談などを聴いていても、
家族が全く腹を割っていない、
腫れ物に触るように暮らしている、
そんな風景が浮かぶような言葉も多い。
「親子とは血の繋がった他人」
田口ランディさんのこの言葉で私は悟ったが、
「家族だからわかり合える」という幻想を未だ持つ人も多い。
なぜ家族内の話を持ち出すかと言えば、
ここで対峙する2組の夫婦もまた、
「家族だから」という前提でものを考えてきたが、
けっきょく「家族だから」こそ、
肝心の部分に触れあうことを避けて、
表面的な平和と平穏を装っていたのだ。
真逆の立場にいながら、
同じように機能不全家族だった。
そのことが意外な作用をもたらす。

地味な映画だし、
正直言ってなんの説明もされないので、
探り探りの台詞の応酬と、
それから推理していくのはかなりつらい。
加害者側は何も言い訳できる状況ではない、
だからこそ理論武装をしていたり、
或いは感情に訴えようとする。
被害者側は理不尽に巻き込まれて、
整理のつけようがない感情をどう表現するのか、
或いは加害者のことを知ってどうしたいのか、
それすらかみ砕くことができていない。
そんな密室での会話劇、
覚悟の上で観たらきっと満足する。
これがベストなのかはわからないが、
ある意味での昇華体験や、
心がスッキリとする思いがちょっと味わえる。

妙な言い方だけど、
ちょっとした心の栄養になる。

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