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「コット、はじまりの夏」 [映画]



やっと見つけた、私の居場所―。1981年、夏のアイルランド。家族といても孤独だった9歳の少女コットが、親戚夫婦と過ごした“特別な”夏休みを描く、愛おしさに満ちた希望の物語。

たぶん初めて観たアイルランド語の映画。
全く聴き取れないし、
固有名詞はともかく、
なんとなくの名詞も聴き取れず。

コットの家庭は、
ある意味ものすごく典型的田舎のアイリッシュ。
オヤジはろくに仕事もせず、
酒と博打の生活で荒くれている。
そこへ持ってきてカソリックだから子だくさん。
全部確認できた自信がないのだけれど、
おそらく最後は7人だったと思う。
そんな中でコットは静かな少女(それが原題)。
親としてはどう扱っていいのかわからない。
おまけに母親は今にも子どもが産まれる状態で、
生活は苦しくて大変すぎる。
結果コットは母親の従姉妹の家に預けられる。
自分の感情を表すことを知らず、
自分の欲求もあるのかないのか、
それを出すことすら知らないコットは、
父親に送り届けられると荷物も降ろさず、
一応食事などして体裁は整えるが、
そこに置き去られるように車は遠ざかる。
愛情深くコットを見守り世話を焼く叔母。
愛想はないけれど遠くから見守る叔父。
2人に触れあううちにコットは子どもらしさを取り戻して行く。

不器用な人たちばかり。
本当は考えているし、
思いは人一倍なのにそれを表現できない。
愛していないわけじゃないけれど、
自分の不甲斐なさとどうしようもない生活に、
家族に当たり散らす以外できない父親。
そんな父親に振り回されながら、
子供たちを愛しながらもそれを表現しきれないほど、
生活と気持ちが追い詰められている母親。
姉たちはそんな生活がわかっていて、
ちょっと悪ぶったりコットをバカにしたり。
コットの目を真正面から見つめて、
愛おしそうに髪をとかして、
優しく浴槽で身体を洗ってくれる叔母。
恥ずかしいのか、何か傷が疼くのか、
コットに目もくれないけれど、
実はちゃんと見ていてくれる叔父。

最後のコットの言葉には号泣する。
口にした言葉の二つの意味。
「ああ」と思った途端に視界が曇る。

良い子だからじゃない。
ただ多くの家族に囲まれながら、
自分の感情を忘れてしまったかのようなコット。
父が爆発するのをおそれるコット。
子どもは人一倍空気を読むし、
人一倍気を遣うと言うことを忘れちゃいけない。
そしてそれを普通だと思っちゃいけない。
子どもは空気なんか読まないで、
気を遣うことなく自分の感情を出せないと、
将来何処かで歪んでしまうから。

だからこそこれが「はじまりの夏」なのだ。
原題には全くないけどw。



まぁあの父親なら、
最初は抵抗してもサッサと諦めそうだな。

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「リトル・エッラ」 [映画]



STORY
人と仲良くするのが苦手なエッラが、
唯一仲良くできるのは、おじさんで“永遠の親友”であるトミーだけ。
両親が休暇で出かけている間、トミーと過ごすのを楽しみにしていたエッラだったが、
オランダからトミーの恋人スティーブがやってきて、夢の1週間は悪夢へと変わる。
親友を取り戻したいエッラは転校生オットーの力を借りて
スティーブを追い出すための作戦に出るのだが…

「友とは人生の庭に咲く花」
なんと素晴らしい言葉だろう。
「友達なんて要らない。 
 叔父さんのトミーがいれば充分」
でも実はそうじゃない。
トミーにはトミーの人生があるし、
エッラにはエッラの正調がある。
でも互いの縁で広がって行く友は人生の花。
私はこの10年くらいで、
ラジオと言う媒体を通じて、
多くのオトナの知り合い、友達ができた。
もともと余り人付き合いの良い方ではない、
1人で行動するのが当たり前でそれがデフォルトの私、
まさかこの年齢になってから、
こんなに沢山の人たちと知り合うことになるとは夢にも思わなかった。

原題は「ミニ・ズラタン」。
ズラタン・イブラヒモヴィッチと言うスウェーデンのサッカー選手にちなんで、
サッカー好きのエッラをトミーが呼ぶ愛称。
まぁこれは「リトル・エッラ」で正解。
私も全然わからなかったものw。

とにかくこの手の映画は、
子役の演技力と可愛さにつきるのだが、
今回はなぜ「トミーと仲が良いのか」という点において、
トミーがゲイであること、
この部分がかなり大きな要素だった気がした。
彼は美容師、それもかなりの大物。
その彼の彼氏はオランダ人。
いくら理解がある北欧とは言え、
やはりそれなりに生きにくいこともあっただろう。
だから彼は優しくて思いやり深くて、
エッラの頼みにも無碍に断ることはしない。
それが純粋な子どものような心なのかと言えば、
決してそんなことはないだろうと思うのだ。
もしそうだとしたら、
いくら才能があるとは良いながらも、
美容師としてショーが開けるほど成功するはずもない。
オトナとして清濁併せ呑むことも知っていてなお、
エッラの純粋な気持ちに応えたいと思う優しさを持つ。
そしてだからこそ「友は人生の花」といえるのだろう。
本当の友は人生の花のようなものなのだと。

こういう映画を観ていると、
本当に多幸感で一杯になって、
世の中の全てを許せる気になってしまう。
そのくらいにエッラは可愛いし、
トミーはチャーミングで愉快で頼もしい。
ゴールデンウィークのさなか、
こんな楽しい映画で、
自分の大好きな場所で、
大好きなスープセットを食べながら、
時間を過ごせることの幸せを噛みしめる、
そんな映画だった。

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