SSブログ

「興行師たちの映画史 ―エクスプロイテーション・フィルム全史―」 [本]


興行師たちの映画史 ―エクスプロイテーション・フィルム全史―新装版

興行師たちの映画史 ―エクスプロイテーション・フィルム全史―新装版

  • 作者: 柳下毅一郎
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2018/03/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


映画は芸術でも産業でもない。
見世物なのだ。
大魔術、セックス、フリークス、偽ドキュメンタリー、人種映画、大仕掛け宣伝・・・・・
リュミエールを元祖とし、ハッタリ屋ヒッチコック、奇術師オーソン・ウェルズまで、
企画・撮影・出演・宣伝・上映を一手に握った興行師たちが、
特定の観客をあてこんでつくったエクスプロイテーション(搾取)映画こそ、映画史の本流だった!
ご要望にお応えし待望の新装版刊行。

シネコヤで次の映画を待っているときに見つけて、
読み始めたら面白くて自分で購入。
少しずつ少しずつ、
自分の本とシネコヤの本で読み進めたw。

例えば「ナイトメア・アリー」に登場するような見世物小屋、
これって全世界共通に存在していた。
全世界人間の欲望というか、
怖い物見たさや異形の物見たさは共通で、
それを娯楽として全世界で披露している興行師たちがいた。
そしてフィルムに映像を残す技術ができると、
人はどんな映像を好むのか?
その頃の映画には音がなかったから、
映像のインパクトと弁士の言葉が大事。
「見たことがないもの」を求めるのは人間共通の欲望。
そこで気付いたのは「エログロナンセンス」。
一応ストーリーはついているけれど、
要は「見世物」として価値があるものに人が入る。

どんなに気取ってみたところで、
映画は「芸術」として発展したわけではない。
今だからこそ残っているスケールの大きな芸術性の高い映画を評価するが、
その裏には数多のエクスプロイテーション映画が存在した。

それは「フリークス」のような実在の人間から始まり、
スナッフビデオや似非ドキュメンタリー、
果てはピンク映画、ポルノ映画にまで繋がっていく。

私もヘイズコードというものをさいきん初めて知ったのだが、
これにハリウッドが縛られてからは、
インディーズ映画とも言える映画製作者たちの腕のふるい所だった。
それこそ「バビロン」の頃のハリウッドはやりたい放題。
撮影でエキストラが死ぬことも普通にあったし、
事故なんて日常茶飯事、
俳優の人権すら守られていなかった。
だからハリウッドには改革が求められていた。

だからメジャースタジオとは無縁の彼らは、
むしろ自由に気まま勝手に映画を作れた。 
中には人種に阿る映画もたくさんあり、
さすがに人種の坩堝アメリカ、
それすらも食い物にしていくのだから恐れ入る。
そしてそうやって作られた映画を輸入した日本でも、
配給会社あの手この手で宣伝して、
そこでまた興行師の手腕を発揮する。

確かに映画は興行。
今もそれは変わらない。
劇場予告編はほんの少しの映像とストーリーのヒントから作られ、
それこそ専門家が勝手につなぎ合わせる。
使われる音楽は映画の中で使われているとは限らない。
要するに中身はわからないけれど、
煽るだけ煽って人を呼ぶのだ。
これが昔の興行師たちと何が変わらないというのか。
それにつられて観に行ってがっかりしても、
それはそれで仕方のないこと。

個人的に信じちゃならないのは、
トム・クルーズの「ミッション・インポッシブル」シリーズの予告。
ありったけできるだけのアクションの挑戦して撮影して、
それをつなぎ合わせて脚本を作って映画にするこのシリーズ、
予告編の映像で山場が大体わかってしまう。
あんまりラジオで出演者が褒めるから行ってみたけれど、
案の定「絶対死なないトム・クルーズ」のアクションにドキドキもせず。
今となっては興行師たちに騙されたと思うしかない。
自分の判断能力が間違っていたのだと。

さすがに最近は似非ドキュメンタリーとか、
スナッフビデオとかはなくなったけれど、
それなりに扇情的な宣伝と映画は存在する。
大抵は期待外れだけれどw。 
それでも懲りないのが人間の性。
いたちごっこは永遠に続くだろうし、
どっちも騙し騙され、
それを楽しみながら生きていく。


本当に柳下毅一郎という人はすごいなぁ。
最近読んでいなかったから、
「皆殺し映画通信」でも久しぶりに読むか。 
 
その前に積ん読を何とかしないとw。 

コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。