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「なんかいやな感じ」 [本]


なんかいやな感じ

なんかいやな感じ

  • 作者: 武田砂鉄
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2023/09/27
  • メディア: Kindle版


ずっとそこにあって、続いてきたもの。その漠然とした感覚を直視してみようと思った。
1982年生まれ。物心ついてから今まで、遠くて起きていたこと。近くで起きていたこと。
その記憶を重ねて、「社会」を語るためにも、まずは「感じ」を考えてみようと思った。
〈今回の本は、自分の体験や思索を振り返るようにして、この社会に染み込んでいる「いやな感じ」はどういう蓄積物なのかを見つめようとした記録である。…同世代が読めば通じやすい話も出てくるが、特に世代論ではない。主題は史実や思い出ではなく「感じ」である。〉ーー「まえがき」より

最近は老眼がすすんだこともあって、
本を読むのがすっかり面倒になってしまった。
にもかかわらず、
「読みたい」という欲だけは衰えないので、
次から次へと積ん読は増えるばかり。
気分が乗れば一気に読み進むが、
今年の繁忙期から眼精疲労もあって、
コンタクトが合わなくなったりして、
活字を読むのも一苦労。
仕事でその気力のあらかたを使い果たしている。

そうは言っても、
武田砂鉄の本だけは読むと決めている。
特にこの本は書き出しから、
今までの彼の本とは全く違う文体と内容。
読み始めて1ヶ月半かかったけど、
面白く読ませていただいた。

同じ出来事でも、
真っ直ぐ見るのではなくて、
ちょっと角度を変えてみたり、
俯瞰してみたり、
下から見上げてみたり。
武田砂鉄というライターの魅力は、
常にその視点のユニークさにある。
ではなぜそう言う視点を持つに至ったのか。
この本では幼少期に始まって、
直近まで今までになく私的な思い出や思いが綴られる。

武田少年は少々変わってはいるが、
思っていた以上に、
自分が知っている同級生の男子と変わらない。
やっていることも思っていることも、
最初のうちは「へぇ、けっこう普通の小学生じゃない」という感じ。
しかし成長して行くにつれて、
少しずつ少しずつ視点が変わり始めて、
ナンシー関に惚れ込んだことからだろう、
今の武田砂鉄が徐々に出来上がっていく。
巻末に近いnoteの閉鎖にまつわる話など、
数年前の出来事だから当たり前だが、
完全に出来上がった武田砂鉄であり、
その疑問の持ち方も今の感覚と変わりなく、
「それは当然のことだなぁ」とわかる。

クロニクルと呼べるほどではないが、
武田砂鉄というライターが昭和に生まれて、
平成に育って令和の今を迎えた、
その人生のかいつまみが実に面白い。
おそらく他人にとってはどうでも良いことも、
武田少年にはどうしようもなく気になり、
それが核となり徐々に育っていく。
例え武田砂鉄というライターの讀物を知らなくても、
ラジオパーソナリティとしての彼を知っていれば、
それは非常に興味深く写るはずだ。

いままで殆どの著作物を読んできたが、
正直この本を読み始めて、
「武田少年、可愛い」と思ってしまったw。
ラジオでも見せなかった素顔が、
ここにはかくも素直に描かれているとは、
予想もしていなかったので終始微笑みながら読んでいた。

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「君たちはなぜ、怒らないのか: 父・大島渚と50の言葉」 [本]


君たちはなぜ、怒らないのか: 父・大島渚と50の言葉

君たちはなぜ、怒らないのか: 父・大島渚と50の言葉

  • 出版社/メーカー: 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版
  • 発売日: 2014/05/01
  • メディア: 単行本


重松清氏、推薦!
よく怒る。矛盾だらけの、甘えんぼ。そんな親父の人生を、二人の息子はたどっていく。それは息子から親父への、もう読んでもらえない、長い手紙なのだ。
世界的な巨匠映画監督にして、討論番組での自由で過激な論客としても知られた大島渚。その2人の息子が、父の遺した言葉から、その知られざる素顔に迫る書き下ろしエッセイ。
映画監督の創作秘話としても、教育論としても、普遍的な家族を巡る物語としてもユニークで面白く、生きる勇気が湧いてくる好著。

シネコヤの本棚で見つけて、
読み始めた途端に思った。
「これは腰を落ち着けて家で読みたい!」 
実は絶版なので、
そこから入手するまでに多少の時間を必要とした。

読み始めたら止まらない。
あの大島渚監督の素顔が語られるし、
とにかく頭に血が上りやすい、
そしてそのくせインテリで確固たる自分の哲学があり、
自分の撮る映画にも若いころから一家言持つ。
なのに家ではとても甘えん坊で、
家族を大切にする父親の顔をのぞかせる。
かと思えば、
「本番映画」に挑戦して「ポルノ監督」と呼ばれる。

二人の息子にとって父親は、
愛すべき父親であるのと同時に、
様々な困惑や混乱を巻き起こす存在であったことだろう。
「なぜ君は総理大臣になれないのか」で注目を集めて大島新監督。
彼は多感な思春期に嫌な思いをたくさんしていたという。
しかし彼の顔や表情を観ていると、
まるで大島監督に生き写しだと思う瞬間があり、
その作品を見ると、
やはり大島監督譲りの頑固さのようなものを感じる。
兄の大島武氏は実は私と同い年。
倒れて以降の大島監督は、
よく夫人と藤沢市民病院に通院していたと聞く。
縁があるわけではないが、
この親子が暮らした鵠沼海岸という土地、
そこもまた彼らに影響を及ぼしたであろうと思われ、
決して大島渚マニアではない私でも、
この親子の話は読んでみたいと思わされるのだった。

読めば読むほど面白いと思うのは、
作品と比較して、
大島監督という人が非常に情にもろくて、
特に家族という存在に対してはホームドラマというか、
ヌーベルバーグどころか思い切り小津安二郎っぽい世界なのだ。
外では激怒する男として知られた監督も、
家では実は大甘な父親で愛妻家、
本当に愛すべき父親だったのだ。
五社協定があったころの映画界で仕事をはじめ、
独立して苦労をしながらも、
妻の絶対的な支えを得て、
やがて世界が注目する監督になるまで、
家族としての苦労も波炊いてではなかっただろうが、
監督自身もまた苦労を重ねていたし、
その姿を家族は目の当たりにしながら、
或いは見せない部分を想像しながら、
父親の仕事への理解と愛情を積み重ねる。

もちろん矛盾しているところもある。
それは人間だから当然だ。
しかし息子たちはその矛盾すら、
「こういう人だから」と理解しているし、
理解するために考えを巡らせる。
理不尽の怒りをぶつけるだけの父親なら、
決して息子たちもそこまで考えを巡らせることはないだろうし、
やはり愛すべき存在であるからこそ、
家族はその矛盾も愛したのだ。

一時全く中古市場になかったのだが、
最近でまわりはじめたようなので、
もし興味があれば一読することをお勧めする。
激昂する姿は覚えていても、
意外とその映画を観たことがない人もいるだろう。
もはや表舞台から消えて長くなり、
知らない人も多くなっただろう。
大島新監督の作品は知っていても。
ならば彼のドキュメンタリーがなぜ人を引き付けるのか、
なぜ問題提起をしてくれて考えさえるのか、
その原点ともなるであろう父親としての存在、
その父親を語る二人の息子たちの言葉を読むことは、
大島新監督の作品の根底にあるものを知ることにもなる。

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「引き裂かれるアメリカ 銃、中絶、選挙、政教分離、最高裁の暴走」 [本]


引き裂かれるアメリカ 銃、中絶、選挙、政教分離、最高裁の暴走 (SB新書)

引き裂かれるアメリカ 銃、中絶、選挙、政教分離、最高裁の暴走 (SB新書)

  • 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
  • 発売日: 2022/12/05
  • メディア: Kindle版


銃、中絶、選挙、政教分離、最高裁……。「自由の国」アメリカはいつの間に、ここまで分裂してしまったのか? 超人気番組、BS朝日「町山智浩のアメリカの今を知るTV」待望の書籍化!
現地取材で集めた生の声が語る、知らないではすまされないアメリカのリアル。

いやー、
発売されてすぐに購入はしているんだけどね。
なにせ積ん読が半端なくて、
おまけに最近忙しくてお昼休みに本を読んでいられない。

と言うことで、
なんだかんだで半年もかけて読んだw。 
 
もともとは「あめしる」でおなじみ、
知っていることなんだけど、
今もう一度関係者のインタビューなどを読むと、
アメリカの白人社会の歪みがあらためて見えてくる。
そして同じ方向に行こうとしている、
今の日本の政権や有力者たちのことも。

恐ろしいのは、
白人にとってこの意識を持っているのは一部だが、
それでも当然の物と考えていること。
ヒトラーがアーリア人こそ世界最高の優秀な人種と思ったように、
アメリカの白人もまた、
有色人種や先住民よりも自分達はすぐれていて、
彼らが自分達と同じ権利を得ることはあり得ないと思っている。
そして一部の極端なキリスト教原理主義者による、
中絶禁止や避妊禁止、銃で身を守ることは当然、
そんな考え方が奇妙なまでに広がりつつある。
と同時に、トランプが影響力を持ち陰謀論が広がっていく。

確かに町山さんはエンターテインメントが大好きで、
話を盛ることもあるし、
多少軽率なところもあるけれど、
個人的には映画を見る目は確かだと思っているし、
世の中を見る目はジャーナリストではなく、
隣人の目だと思っているからそれで良い。

「アメリカは自由の国」 
 
一部の人はそう信じているだろう。
だからそういう人はそれを信じていてもいい。
ただアメリカの一般人の言葉や、
本当の差別を知りたければ、
そういう本を読めば良い。

少なくとも私は、
「あめしる」を知らなければ、
陰謀論もそれを先導した人間の名も知らなかっただろう。
それだけでも良かったと思うのだ。

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「韓国ノワール その激情と成熟」 [本]


韓国ノワール その激情と成熟 (ele-king books)

韓国ノワール その激情と成熟 (ele-king books)

  • 作者: 西森 路代
  • 出版社/メーカー: Pヴァイン
  • 発売日: 2023/06/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


容赦なき暴力と社会への批判的な視点――韓国ノワールの熱い世界!
いまや世界で評価される韓国映画、そのなかでも大きな一角を締めているのが「韓国ノワール」とよばれる犯罪映画の一群です。
「香港ノワール」のリメイクに挑戦したり、韓流スターが出演するなど独自に展開してきた韓国ノワールは、韓国映画の特徴である「容赦のない暴力描写」と「社会に対する批判的な視点」により年々クォリティを上げ、『新しき世界』でひとつの到達点に達したと言ってもいいでしょう。

題名だけで飛びついて予約してしまった。
なので届いた瞬間、
「薄っ!」と声に出してしまった。
韓国ノワールを語るのに、
200ページ程度の本で足りるのか?
私が韓国ノワールを含めて韓国映画を見始めたのが、
ここ数年のことなのだが、
それだけでも足りないだろうと思えた。

読んで納得。
扱われている作品はメジャーどころ、
それこそ私でも知っているし観たことがある。
配信やレンタルで観られる作品を敢えて選んだのだろうか。
どれも王道過ぎて余り大きな発見はない。
どれも面白いし何度でも楽しめる映画だけど、
新発見には少々乏しかった。
だが逆に言えば、
これから韓国ノワールに足を突っ込む人にとっては、
最高の入門書とも言える。
この本に載っている映画を観れば、
韓国ノワールの奥深さと、
観れば観るほどはまっていく理由がわかるはず。

個人的に残念なのは、
「アシュラ」が載っていないこと。
あれほどまでにひどい、
最後まで誰も救われない映画もないが、
それこそが韓国ノワールの真骨頂というものだ。
フルチンで飯を食べ、
フルチンで人を小突き回すファン・ジョンミン、
あんな最低の人格が出てくるんだから最高なのだ。
逆に嬉しかったのは「青い塩」が載っていること。
この不思議なラブストーリーをノワールと呼ぶかは微妙だが、
意外かもしれないが、
あの映画のソン・ガンホが私は大好きだ。
ちなみに本作はアマプラで無料なのでオススメ。

こういう本は難しいなと思う。
変にファンに向けたマニアックな物になると部数が伸びない。
かと言って入門者向けだと、
通り一遍をさらうくらいしかできない。
本書はちょうどその中間点にあるようで、
作品を掘り下げているのだが、
扱う作品がメジャーどころでわかりやすい。
その掘り下げ方が何ともいえない部分でもあり。



こういう本を読むと、
町山さんの映画の掘り下げ方と、
時事的政治的な意味合いの説明は、
本当に群を抜いているんだなぁと改めて実感。


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「興行師たちの映画史 ―エクスプロイテーション・フィルム全史―」 [本]


興行師たちの映画史 ―エクスプロイテーション・フィルム全史―新装版

興行師たちの映画史 ―エクスプロイテーション・フィルム全史―新装版

  • 作者: 柳下毅一郎
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2018/03/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


映画は芸術でも産業でもない。
見世物なのだ。
大魔術、セックス、フリークス、偽ドキュメンタリー、人種映画、大仕掛け宣伝・・・・・
リュミエールを元祖とし、ハッタリ屋ヒッチコック、奇術師オーソン・ウェルズまで、
企画・撮影・出演・宣伝・上映を一手に握った興行師たちが、
特定の観客をあてこんでつくったエクスプロイテーション(搾取)映画こそ、映画史の本流だった!
ご要望にお応えし待望の新装版刊行。

シネコヤで次の映画を待っているときに見つけて、
読み始めたら面白くて自分で購入。
少しずつ少しずつ、
自分の本とシネコヤの本で読み進めたw。

例えば「ナイトメア・アリー」に登場するような見世物小屋、
これって全世界共通に存在していた。
全世界人間の欲望というか、
怖い物見たさや異形の物見たさは共通で、
それを娯楽として全世界で披露している興行師たちがいた。
そしてフィルムに映像を残す技術ができると、
人はどんな映像を好むのか?
その頃の映画には音がなかったから、
映像のインパクトと弁士の言葉が大事。
「見たことがないもの」を求めるのは人間共通の欲望。
そこで気付いたのは「エログロナンセンス」。
一応ストーリーはついているけれど、
要は「見世物」として価値があるものに人が入る。

どんなに気取ってみたところで、
映画は「芸術」として発展したわけではない。
今だからこそ残っているスケールの大きな芸術性の高い映画を評価するが、
その裏には数多のエクスプロイテーション映画が存在した。

それは「フリークス」のような実在の人間から始まり、
スナッフビデオや似非ドキュメンタリー、
果てはピンク映画、ポルノ映画にまで繋がっていく。

私もヘイズコードというものをさいきん初めて知ったのだが、
これにハリウッドが縛られてからは、
インディーズ映画とも言える映画製作者たちの腕のふるい所だった。
それこそ「バビロン」の頃のハリウッドはやりたい放題。
撮影でエキストラが死ぬことも普通にあったし、
事故なんて日常茶飯事、
俳優の人権すら守られていなかった。
だからハリウッドには改革が求められていた。

だからメジャースタジオとは無縁の彼らは、
むしろ自由に気まま勝手に映画を作れた。 
中には人種に阿る映画もたくさんあり、
さすがに人種の坩堝アメリカ、
それすらも食い物にしていくのだから恐れ入る。
そしてそうやって作られた映画を輸入した日本でも、
配給会社あの手この手で宣伝して、
そこでまた興行師の手腕を発揮する。

確かに映画は興行。
今もそれは変わらない。
劇場予告編はほんの少しの映像とストーリーのヒントから作られ、
それこそ専門家が勝手につなぎ合わせる。
使われる音楽は映画の中で使われているとは限らない。
要するに中身はわからないけれど、
煽るだけ煽って人を呼ぶのだ。
これが昔の興行師たちと何が変わらないというのか。
それにつられて観に行ってがっかりしても、
それはそれで仕方のないこと。

個人的に信じちゃならないのは、
トム・クルーズの「ミッション・インポッシブル」シリーズの予告。
ありったけできるだけのアクションの挑戦して撮影して、
それをつなぎ合わせて脚本を作って映画にするこのシリーズ、
予告編の映像で山場が大体わかってしまう。
あんまりラジオで出演者が褒めるから行ってみたけれど、
案の定「絶対死なないトム・クルーズ」のアクションにドキドキもせず。
今となっては興行師たちに騙されたと思うしかない。
自分の判断能力が間違っていたのだと。

さすがに最近は似非ドキュメンタリーとか、
スナッフビデオとかはなくなったけれど、
それなりに扇情的な宣伝と映画は存在する。
大抵は期待外れだけれどw。 
それでも懲りないのが人間の性。
いたちごっこは永遠に続くだろうし、
どっちも騙し騙され、
それを楽しみながら生きていく。


本当に柳下毅一郎という人はすごいなぁ。
最近読んでいなかったから、
「皆殺し映画通信」でも久しぶりに読むか。 
 
その前に積ん読を何とかしないとw。 

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「町山智浩のアメリカスーパーヒーロー映画 徹底解剖」 [本]


町山智浩のアメリカスーパーヒーロー映画 徹底解剖

町山智浩のアメリカスーパーヒーロー映画 徹底解剖

  • 作者: 町山 智浩
  • 出版社/メーカー: イースト・プレス
  • 発売日: 2023/05/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


スーパーヒーロー映画は、商業主義の子供だましと言われ、たしかにそういう映画もありますが、
ライアン・レイノルズやジェームズ・ガンやデスティン・ダニエル・クレットンやパティ・ジェンキンスのような映画作家たちが、
自分個人の問題に引きつけて、そこから世界の現実をえぐります。
そして、その映画を観た人々は人生のなかで選択に迷った時にこう思うでしょう。
ヒーローだったら、どっちを選ぶ?

昭和38年生まれなので、
TVアニメ版「鉄腕アトム」と同い年である。
然るに特撮やロボットアニメやヒーローものと一緒に育った。
未だに庵野監督の「シン」シリーズを追ってしまうのも、
原体験が忘れられないからなのだろう。

そんな私が今更にしてマーベルのどっぷりはまった。
そもそもバットマンは面白いと思っていたし、
スーパーマンなども何となく見ていた。
TVドラマのハルクも大好きだった。
「なんとなく」だけどアメコミのヒーローは認識していた。
ただ日本に入ってきていた順番などもあるのだろうけれど、
DCの方が自分の中では大きな存在だった。
サム・ライミが「スパイダーマン」を監督した時に、
ちょっとマーベルにふれたけれど、
当時は「子供のもの」という認識の方が強くて、
あまり真剣には観ていなかった。

ターニングポイントは「アイアンマン」だろう。
ロバート・ダウニー・Jrが好きだったので、
何となく観たのだが、
うつ病真っ盛りの頃だったのか記憶がないw。 
まぁいずれにしても始まりはその程度だったのだが、
気が付いた時にはかなりの本数が制作されていて、
もう今更追いつけないとあきらめたw。 

それがなんでマーベルにはまったかと言えば、
「アベンジャーズ/エンドゲーム」が公開される前、 
世間が異常な盛り上がりを見せていたので、
それに乗り遅れたくなくてw、 
とりあえずの知識としてアベンジャーズシリーズを観たからだ。
その前に「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」を観て、
「なんか他のとは全然違うけどめちゃくちゃ面白い」とは思っていた。
私の知識の中に「ヒーロー軍団」というのが存在せず、
マーベルの中で「アベンジャーズ」みたいなことが起こっていること、
そのこと自体が認識を新たにさせられたきっかけともいえる。

その後マーベルを全作見直し、
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーvol.3」きっかけに、
再度見直し中w。

そんなわけで、
今はアメコミヒーローたちの奥深さに夢中。
そこにこの本だからw。

なるほどなぁ、と唸ることしきり。
だって普通に観ていたら気が付かないことって多い。
派手なアクションやCGが多いだけに、
せっかくのストーリーや設定の妙に気づかず、
ただただ映像を楽しむだけで終わることもあって当然。
町山さんならではの着眼点と、
家族や仲間たちとの確執やアメリカだからこその背景、
特に人種、宗教、政治にかかわることは、
普通に日本で暮らしていたら気づかないことも多いから、
この徹底解剖はかなり腹の底に堪える重さがある。
「世の中そう単純じゃないよ」
「スーパーヒーローだからって子供だましじゃないよ」
まぁとっくの昔にそういう時代は終わっていたのだが。

私が未だに一番好きなのは「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」なのだが、
愉快で軽妙洒脱だった1作目から、
「vol.2」を観たときの大号泣は忘れられない。
実の父親の横暴と傍若無人ぶりに対して、
育ての父親の自らを犠牲にしても息子を救う愛情。
まさかマーベル映画で大号泣するなんて予想もしていなかったし、
そこの部分の解説も秀逸。
何よりジェームズ・ガン監督論が最高すぎる。
これからのDCを背負って立つ彼の背景、
だからこそのこの選択。

いやぁ参った。
マーベルもDCも追いかけ続ける気持ちが強くなりすぎているw。


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「父ではありませんが 第三者として考える」 [本]


父ではありませんが 第三者として考える

父ではありませんが 第三者として考える

  • 作者: 武田 砂鉄
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2023/01/26
  • メディア: 単行本



子どものいないあなたにはわからないと言われるけれど――
「ではない」立場から見えてきたこととは。
「父親とは…」
「母親とは…」
「子育てとは…」
大きな主語で語られ、世の中で幅を利かせる「普通の家族」をめぐる言説への違和感を「父ではない」ライターが遠巻きに考えてみた。

私には子どもはいない。
そして夫もいない。
だから当然舅も姑もいない。
ついでに言えば兄弟姉妹もいない。
こんなにないないづくしでは、
さぞかし世間様からは「あなたには何もわからない」と思われていることだろう。
もしかしたら人にあらずくらいに思われているかも。

ところがである。
これがまた不思議なことに、
プライベートでも仕事でも、
なぜか私は「王様の耳はロバの耳」と言わんばかりに、
愚痴をこぼされて相談を持ちかけられる。
こういう私の人生の背景を知らない人からも。
こうなると私が背負っている私の人生の背景は、
話を理解するかしないか、
話や境遇に共感するかしないか、
そうしたことを私がしそうに見えるかは無関係だと思える。
相手が全員、私を叫ぶだけの穴だと思っているなら別だが。

つくづく思わされるのは、
「想像力の欠如」というものだ。
これはおそらくここ30年くらい抱えている思いなのだが、
どんな職業の人でも、
どんな立場の人でも、
どんな階層の人でも、
近年「想像力の欠如」或いは「想像力の貧困」を感じる。
それこそが「君にはわからない」の決めつけだ。
自分が反対にその立場ならわからない。
だから君にもわからない。
「想像力の貧困」の押しつけだ。
これが日本中に蔓延していると思う。
オリンピック関係者たちのトンデモ発言も、
或いは政治家たちの女を子どもを産む装置としか考えていない言葉も、
また多産の女性には補助金や表彰をと言う政治家も、
みんなみんなそれぞれに事情があることがわからない、
常に自分の時代、自分の環境、自分の価値観でしか考えない。
だから勝手に決めつけをしてくる。
LGBTQに対しても同じことだ。
自分がヘテロセクシャルだから理解できない。
理解できないのではなく、
理解しようとする想像力が欠如しているのすら自覚しない。
これは特定の政治家の話だけではない。
医者も想像力の欠如した人間が増えたと思う。
患者の痛みを理解しようとしない、
苦しみを想像しようともしない、
「ああそうですか、お薬出しておきますね」
電子カルテの画面に向かって患者を一顧だにしない。
こんな人たちに想像してもらうために、
理解してもらうためにどのくらい言葉を尽くせば良いのか。
いいや。いくら尽くしてもわからない。
だってわかる気がないのだから。

決してわかり合えない間柄で、
それでも視点を変えて考えてみて、
何とか歩み寄ろうというのは不毛な努力だ。
ただいくら相手が歩み寄ろうとしなくても、
なぜ相手がそう考えるのかを想像してみるのは悪くない。
逆にその傲慢さを想像してみると、
そこが一つのヒントになって語りかける言葉を変化させることもできる。
もちろん相手がそれで変わるわけではないだろうが、
そのことに反応した態度でまたこちらも考えられる。
これをお互いにすれば世の中は平和になるのだが、
生憎そうはならないのが現実である。
現実だからこそ政権は日本会議、壺、神社本庁に縛られ、
想像を巡らせるどころか、
生産性がない、理想の家族の形態に反すると断じる。
それがどれほどまでに残酷なことか、
当事者ではないものには想像するしかないが、
想像することで気持ちが歩み寄ることができる。

想像力の貧困と欠如。

それを嘆くならば、
この本を読むといくらか溜飲を下げるかも知れない。
想像力を巡らせてあれこれと考える。
それが武田砂鉄という人の魅力だし、
その視点を変えながら思考し続けること。
それこそが武田砂鉄という人の真骨頂だから。

互いを思いやるなどと言う生やさしい言葉では、
今やこの国は分断が進むばかり。
哀しい事にその距離が縮まる気配はまだない。

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「愛と情熱の山田うどん : まったく天下をねらわない地方豪族チェーンの研究 」 [本]


愛と情熱の山田うどん : まったく天下をねらわない地方豪族チェーンの研究 (河出文庫)

愛と情熱の山田うどん : まったく天下をねらわない地方豪族チェーンの研究 (河出文庫)

  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2022/12/03
  • メディア: 文庫



関東ローカル&埼玉県民のソウルフード・山田うどんへの愛を身体に蘇らせた二人が、
とことん山田を探求し続けた10年間の成果を一冊に凝縮。

世界は二つに分けられる。
山田か、それ以外かーー

企画・解説:武田砂鉄

確かに覚えている。
東日本大震災ののち、
文化放送のくにまるジャパンの中で、
えのきどさんとトロさんが妙に山田うどんで盛り上がっていたことを。
しかし当時の私は、
裸眼(と言っても視力矯正のコンタクトレンズをした状態)で文庫本を読むことに支障がなかった。
ゆえに当時は滅多なことでハードカバーを買わなかった。
今は文庫本を読むのがつらくなったので、
潔くハードカバーを買うか電子書籍を買う。
何が言いたいかと言えば、
山田うどんの本が2冊立て続けに出版されたとき、
私は「文庫本になるだろうから待っていよう」と思ったのだ。

山田うどんと言えば、
この本にもあるとおり埼玉県や多摩と言われる地域にあることが多い。
東京生まれで神奈川育ちの自分が、
なぜ山田うどんを知っているかと言えば、
ぽつんと神奈川県内に孤高の案山子の看板を立てたからだ、
一番古い記憶はわからないが、
おそらく小学生の時に夏休みに秩父に行ったとき、
街道沿いで頻繁に見かける山田の看板に目を惹かれた。
親に「食べたい」と行った記憶もあるのだが、
おそらく却下されたのだろう。
その後は余りクルマとは縁のない生活になり、
30歳頃に相模川にかかる戸沢橋の海老名よりにあった山田うどん。
そこまで記憶は途絶えるはずだ。
その山田うどんはいつの間にか他業種になっていた。
ちなみにその物件は何をやっても巧く行かず、
この30年くらいの間に15くらい店舗が変わった。
そして山田うどん食堂亀井野店である。
いつの間にかできていたこの山田うどん食堂、
なかなかに広い駐車場を備えている。
地価の高い藤沢市の街道沿いにしては贅沢なスペースだ。
それは今も健在、
昼時などは満車と言うときもみられる。
かようにして私は山田うどんになじみがあり、
当然のように当時も興味を持っていたのである。

そして恐るべきことに、
このときの出版社の担当が武田砂鉄さんであったという驚異。
そりゃ文庫化されるとあっては、
万難を排して読むしかないではないか。



満腹である。
非常に堪能した。
この感覚は読んだことがない人にはわかるまい。
山田うどんというローカルでありながら、
人を魅了してやまない企業であること、
「美味しい」は禁句であること、
「そこそこの味で満腹感を提供する」
そんな不思議な満足感が自分を満たす。
今までは編集者という影の存在であった武田砂鉄さんも、
後書きに名前を出して堂々と山田を語る。
こんな至福があるだろうか。
そして読んで満腹になって充足感を感じられる、
それも決して美味礼賛ではないのに、である。

そして生来の山田ものでなく、
時折見かけるだけだった山田うどん、
その魅力を語って語って、
ラジオから聞こえるその内容に引き込まれ、
何の因果か毎週山田うどん食堂を眺める生活。

やはり山田うどん、ただ者ではない。


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「このミステリーがすごい!2023年版」 [本]


このミステリーがすごい!2023年版

このミステリーがすごい!2023年版

  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2022/12/05
  • メディア: Kindle版


巻頭では『ジョジョの奇妙な冒険』35周年を記念し『岸辺露伴は動かない』を特集。
荒木飛呂彦さんへのインタビューや、作家の伊坂幸太郎さん・辻村深月さん・法月綸太郎さん、脚本家・加藤敏幸さんが荒木作品を語るエッセイ、脚本家・小林靖子さんへのメールインタビューを掲載します。

最初に「このミス」を読み始めた頃は、
ハードカバーなんて買えないから、
文庫版になるのを首を長くして待っていたり、
或いはどうにも我慢ができないものはBOOK OFFの店頭で探した。
それがもはや遠近両用の眼鏡なくして文庫は読めない、
ハードカバーは重くて持ち歩くのはいや、
ハードカバーの本であっても電子なら格安で買える。
何と隔世の感があることか。

今年は表紙が岸辺露伴である。
私は高橋一生のファンでもあるので、
NHKのドラマで知ったという有様。
逆にマンガはトリッキー過ぎて読めない。
それが表紙になり原作者が巻頭インタビュー。
いやはや、時代は確実に変わっている。

ここ数年は映画館通いと家での映画鑑賞に拍車がかかり、
本を読む時間を捻出するのが案外難しい。
前述の通り目が不自由になってきたのも影響している。

と言うわけで、
今年は当然と言えば当然の結果だが、
国内も海外もベストには言った作品を読んでいない。
それどころか映画を観てから、
今になって「ザリガニの鳴くところ」を読み始めた始末である。
更にどうしようもないことに、
今年何度目かの再放送が始まった「名探偵ポワロ」を観て、
「脚本がアンソニー・ホロヴィッツだったのか!」と知った次第。
なんと私の目は節穴だったことか。

年々小説よりも、
新書やドキュメンタリーを好むようになって、
「事実は小説よりも奇なり」を実感している。
国内編の総評にも書いてあるとおり、
コロナウィルスのパンデミックやら、
元首相の銃撃事件やら、
確かに事実の方が小説を超えている気がする。
そう言う意味ではここ数年の変化は著しい現実。

そういえば去年の国内ベスト、
「黒牢城」も電子の中で積ん読になっていた。
電子ならば文字の大きさも自由自在、
閑なときに会社でも読める(ヲイ!)。
来年こそは少し文字の世界に時間を割きたいと思う。

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「東京オリンピック2017 (都営霞ヶ丘アパート)」 [本]


東京オリンピック2017 (都営霞ヶ丘アパート)

東京オリンピック2017 (都営霞ヶ丘アパート)

  • 出版社/メーカー: 左右社
  • 発売日: 2021/12/25
  • メディア: 単行本


《映画公式冊子》東京五輪を理由に終の住処を失った住人たちの記録
稲葉剛、ヴィヴィアン佐藤、ジェーン・スー、七尾旅人 推薦
武田砂鉄による書き下ろしエッセイを加えた完全保存版
1964年の東京オリンピックに伴う開発により、国立競技場近くに建設された「都営霞ヶ丘アパート」。
住民には高齢者が多く、このアパートを終の住処として生活を営んでいた。
しかし「東京オリンピック2020」を理由にアパートの取り壊しが決定。2012年7月、住民に「移転のお願い」が届く──
華やかなオリンピックの影で奪われた、ひとりひとりの生活。
詳細な資料とともに記録する、個々人の小さな歴史。

「都市計画」というものは、
大きな完成予想図などを掲げて理想を謳う。
そこに描かれた架空の町はキラキラとしていて、
街を闊歩する人たちは活気にあふれている。
しかしそれはあくまでも「未来予想図」であって、
現実にそうなるとは限らない。

東京オリンピックの誘致から開催が決まって、
わたしもまた多くの人たちと同様、
その開催を喜ばしく思わず、
ウソに固められた誘致のためのスピーチを苦々しく思い、
最後まで反対の声を上げようと考えていた。
そうこうするうちに、
国立競技場の建て替えが発表された。
「いやいや、既存の施設を利用するといっていたではないか!」
日本中からそんな突込みが聞こえるさなか、
海外の建築家に依頼した新国立競技場の完成予想図は、
なかなかに物議をかもすものとなる。
それと同時に新国立競技場の建て替えに乗じて、
周辺の再開発をすることになり、
かつオリンピックとは何の関係もない団体のビルが建つことを知る。
もう完全に便乗ビジネスだった。
けれどあっという間にかつての国立競技場は解体される。
その後いろいろな問題があって、
最終的に新国立競技場の姿は当初の予定とは違うものになる。
ただ周辺の再開発に伴う住民の移動を伴う建築物の解体は変更されなかった。

映画は未見なのだが、
この話は折に触れて報道されたり、
ドキュメンタリー番組で扱われて、
かなりのことを知っていたと思っていた。
しかしこの本を読んで知ったのは、
都側の一方的な通告と移転先の提示。
多くの高齢者が暮らすそのアパートから離れることは、
高齢者にとっては大きな負担であり、
かつ暮しを一から変えることになり非常に大変な話だ。
それは予想がついていたが、
立ち退きを迫る側はそんな事情は勘案しない。
もちろん都職員の担当者にはそういうことを懸念する人もいただろうが、
あくまでも都側の姿勢にはそんな温情は見えない。
行政のやることに温情を挟んでいたら進まない。
それは事実だろうが、
1964年のオリンピックによって移転を余儀なくされた人たちが、
またもオリンピックによって移転を強要される。
50年以上も経過したのだ。
もちろんそれだけ人間も歳をとる。
それでも期日までには退去しなければならない。

この本にはその計画から退去通告、移転希望先の記載された書類など、
多くの資料が詰まっている。
これもまた日本の歴史の一部として保存しておくべきだし、
美しい都会の中の杜を失った記録として忘れてはならない。


日本は何かというと公共工事で景気回復をしたがる。
それは好景気でいけいけどんどんだった時代、
高度成長期の名残であり、
今もまだそれによって多少は景気が良くなる業界もある。
しかしそれは限定的であり、
あの時代のように日雇い労働者を山ほど雇って建設作業ができる時代ではない。
それでも官僚と政治家の考えることは変わらない。
その犠牲になるのはいつも弱者である国民だ。

この記録もその一つだ。

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