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「影法師」 [本]


影法師

影法師

  • 作者: 百田 尚樹
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2010/05/21
  • メディア: 単行本


内容(「BOOK」データベースより)
光があるから影ができるのか。影があるから光が生まれるのか。ここに、時代小説でなければ、書けない男たちがいる。父の遺骸を前にして泣く自分に「武士の子なら泣くなっ」と怒鳴った幼い少年の姿。作法も知らぬまま、ただ刀を合わせて刎頚の契りを交わした十四の秋。それから―竹馬の友・磯貝彦四郎の不遇の死を知った国家老・名倉彰蔵は、その死の真相を追う。おまえに何が起きた。おまえは何をした。おれに何ができたのか。

なぜこの一冊に手をつけたかといえば、
まず高田純次が大竹まことに、
「この本は良いぞ、すごいぞ。」と言い、
大竹まことがそれを受けて読んで、
ラジオで「これはすごい。最後の男の友情のすごさが良い。」
そう言っていたからで。

レビューを読むと、
「他の時代小説に似ている。切り張りだ。」
みたいな話がたくさんあるけれど、
基本的に時代小説をあまり読まない私にはよくわからない。
人物像が類型的であることは否めないけれど。

三人称ながら視点が常に主人公にあるので、
最後まで真相がわからない。
つまり意外なほど立身出世はするけれど、
この主人公の客観性と人を見る目はかなりボンクラなのだ。
逆にそれをうまく利用している。
読者を主人公の目線に置くことで、
「なにかあるな」と思わせつつも真相を見せない。
一種のあざとさを感じないこともないが、
放送作家出身らしいので狙い方をよく知っているのだろう。

正直真相を読み進むと、
「うわ~。」と思ってしまう。
「影法師」の意味を知って唸ってしまう。
と同時に本当に男の友情のためにここまでできるのか、
少々疑ってしまうところもある。
おそらく読み手が男であれば、
純粋に「すごい」と感動できるのだろうが、
あいにく女は意味もない深読みをする(笑)。
私は純粋に「男の友情」だけだと思っていない。
おそらくは作家自身もそれ以外の意図をもっていたに違いない。
物語の根幹部分はそれだろうが、
枝葉末節にかかわる会話などから「それ以外」をにおわせる。

以下ネタばれ注意。部屋住みでどうせ出世が叶わぬなら、
そして妻帯することも許されぬなら、
下士とはいえ長男であり家を継いでいく親友に、
自分の夢と愛情を託したとしてもおかしくないかもしれない。
自らの愛した女を託し、
自らが果たせぬ夢のために影となり親友を助ける。
ボンクラな主人公は、
女に関しては少々勘ぐるところがあるのだが、
自分が生きるために必死だから親友の思いに気付かない。
親友が影となり助けてくれるから階段を登れるのに、
思いがけない幸運と出世に浮かれて全く気付かない。
「思いがけない幸運」などではないということに、
最後の最後まで気づかない。

どう?
この主人公のボンクラ具合。
ある意味純粋だしある意味素直で真っすぐ。
もっともこのボンクラだからこそ、
自分に日が当たることによって影ができることに気付かないわけで、
影に気付かないまま歳をとったからこそ出世もできたと。

たぶん高田純次とか大竹まこととは違う意味で、
「すごい」と私は思ってしまった。
もっともこれは時代小説の設定あってこその話だから、
それをうまく利用してこの話を書きあげたのだから、
やっぱりいろいろな意味で「すごい」のだろう。

時代娯楽友情小説として、
読んで退屈はしないし面白い。
でもここを読んじゃった人は買わないかもなぁ(笑)。
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