SSブログ

「セールスマンの死」 [舞台]



主演風間杜夫、演出長塚圭史とあっては、
さすがに今こそ観ておこうと、
千秋楽のチケットが手に入ったので。

自分の仕事人生の終わりが見えてきて、
ローマンのように家族もなく、
老後を充分に過ごせる資産もなく、
ものすごく不安な日々を過ごしているこの頃、
「せめて家族でもいれば」と思ったこともあるけれど、
その思いすら打ち砕かれる3時間。

「誰が」「何を」「どうして」夢を間違えたのか?

物語の舞台である1950年代、
戦争が終わって世界の経済が伸びているとき、
「セールス」は夢のある仕事だったのかもしれない。
自分自身店頭で衣類を売ってみたり、
或いは金融という世界の営業をやってみたり、
その仕事の達成感や楽しさはわかっている。
でもそこから一歩退いたとき、
或いは年齢を重ねて仕事がつらくなってきたとき、
果たしてそこに自分の居場所はあるのか。
私自身もがいた。
別の職種につくために努力もした。
大会社から中小企業まで経験した。
その結果がどうだ。
一部の職種では労働力が足りなくて外国人を雇い入れようとするが、
一部の職種では人間が不要になっている。
昔は就職して定年まで勤めあげることが生き方の主流だった。
しかしそれは崩れ去った。
大会社であってもリストラは容赦なく断行され、
一つのキャリアを全うすることすら難しくなった。
ドラスティックに世の中の価値観が変わった。

ローマンは私自身だ。
家のローンこそないが、
家電品は壊れる、
クルマはぶつける、
自分の感情を制御できない、
まるで自分を観ているかのようだった。
妻はローマンを理解しているかのようでもあるが、
それでも現実の厳しさをローマンに告げている。
息子たちはローマンの理想とは程遠く、
30歳を過ぎて稼ぐこともできない長男、
女と遊ぶことばかり考えている次男、
結果的には現実を背負っているのはローマンだけ。
そのローマンはセールスマンとしての盛りを超え、
基本給なしの歩合給のみ。
ますます妻リンダは支払いに窮して、
責めるわけではないが現実を夫に訴える。
そしてやがてやってくる決定的な出来事。

若いころに観たならば、
「こうなってはいけない」と思えただろう。
けれど今となってはただただ心に重くのしかかる。
「お前自信がローマンだ。 
 ローマンのようにお前の葬式には誰も来ないだろう。 
 お前が生きた痕跡など何も残らないだろう。」
私自身何をどこで間違えたのか。
子供のころからなりたいものなどなかった。
中学に入ったころから介護に追われ、
20歳で母親が亡くなったころには、
「家族や他人のせいで人生がどう転がるかわからない。 
 だから理想とか夢を持つことはしない。」
その果てが今である。
ローマンの描いた夢が虚空をつかんでいたのと変わらない。

それでもまだ死ねない。
父親が存命中は死ねない。
ならば今から間に合う道を模索するしかない。

書かれた時代は古いし、
70年近くも前の戯曲ではあるが、
全くもって現代と変わらない現実がある。
その内容を平易なセリフで回して、
舞台セットも奥が深くて、
演出の長塚圭史さんも素晴らしかった。
時は流れても人の心は変わらない。
いつの時代でも仕事も金も家族も変わらない問題を抱えている。
3時間の長丁場が全く苦痛ではなかった。

コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。